我孫子市船戸の旧武者小路実篤邸跡 

我孫子市船戸・旧武者小路実篤邸跡〈地域レポート02〉

2019.11.22,23

1.白樺派の旧邸公開と街歩きボランティア
1-1.我孫子市のこと

 我孫子市は、千葉県の北西部、都心から1時間圏内に位置するベッドタウンです。地形としては、南北を手賀沼と利根川に挟まれた馬の背状の台地が東西方向に広がります。海抜約20mのなだらかな台地から水辺に下る崖線(=ハケ)部分には緑豊かな斜面林を残し、都心に一番近い天然の湖沼である手賀沼を擁する地域の景観は、大正時代から昭和初期にかけて「北の鎌倉」と称されました。この当時、我孫子の景観に魅了された文化人は多く、志賀直哉、武者小路実篤、柳宗悦らが居を構えたことから、白樺派の拠点となり、『我孫子コロニー』(注1)とも呼ばれました。そして現在、これら白樺派の3旧邸跡のうち、旧志賀直哉邸は、我孫子市の指定文化財として一部「書斎」が復元された状態で保存され、民間所有となった旧武者小路実篤邸と旧柳宗悦邸は、何度か所有者が変わり、建物の建て替えや改修・増築が行われましたが、敷地は保存され、景観としては往時の風情を留めています。



図1-1:我孫子市の航空写真(現在/上が北)


   写真1-1:旧志賀直哉邸     写真1-2:旧武者小路実篤邸  写真1-3:旧柳宗悦邸「三樹荘」
    (我孫子市緑)          (我孫子市船戸)         (我孫子市天神)
 写真上:全景/下:『書斎』近景   写真上:全景/下:軒先の近景   写真上:建物/下:天神坂


 私が所属する「我孫子の景観を育てる会」は、令和元年より我孫子市船戸に残る「旧武者小路実篤邸跡の特別公開」に協力しています。期間中は、邸内ガイドと同時に会の企画「我孫子のいろいろ八景歩き」の特別ツアーとして「白樺派の若き文豪・2人を結ぶハケの道コース」を開催。大正時代の同時期を、我孫子の手賀沼湖畔で暮した武者小路実篤、志賀直哉、柳宗悦の旧邸跡をハケの道沿いに巡る街歩きも実施しており、私もツアーガイドとして参加しました。

 2日間ともあいにくの天気でしたが、たくさんの方にご参加頂き、白樺派の根強い人気に驚かされました。我孫子市の手賀沼湖畔は、志賀直哉、武者小路実篤、柳宗悦が居を構え、しかもそれが結婚し、家族を持って初めての住宅であることから、3人の住宅観を探る上で重要な場所だと考えられます。
以上より景観シンクタンクの実践活動として、現在残された3旧邸跡に関する建築学的価値の掘り起しと『我孫子コロニー』としての景観資源化に力を入れています。 (文:野口修)


図1-2:旧武者小路邸跡の特別公開          図1-3:特別ツアーで配布したマップ
     に関する新聞記事
 
〈注〉
1) 手賀沼湖畔に集住した志賀直哉、武者小路実篤、柳宗悦および彼らを訪ねた岸田劉生、有島生馬、犬養健、梅原龍三郎、安倍能成、長与善郎ら白樺派の集まりを称した呼び名。『我孫子コロニー』以外にも『我孫子文化村』等、幾通りかの名称が見られたが、ここでは我孫子市の旧武者小路実篤邸の門前に我孫子市教育委員会が建てた解説看板にある『我孫子コロニー』を引用することとした。